【メルマガ】信じるものは救われる♪の鍵!

マナーを学んでいると
宗教についても、自然と触れることが増えます。

私自身は無宗教なのですが。

仏教、神道、キリスト教、イスラム教・・・
いろいろな宗教がありますが、
神道だけは、「教」ではなく「道」と表すのが
面白く、それこそが神道が神道たる所以でもあるのだろうなぁと
思わさせますね。

生きていく上での悩みは古今東西
さほど変化はなくて、
その折々で、どうしたらより気持ちよく生きていけるのか。

それらを先人が考え、先人たちなりに考えたことを
まとめ、伝えているものが宗教だとするならば、

マナーもある意味、宗教のようなもので、
己の信じる道を、どう生きるのか。

そんなことの現れだと思うのです。
今日は、キリスト教の有名な言葉を引用してみました。
どういうことかと申しますと・・・♪

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もう迷わない!自分らしくEnjoy!マナーの鍵 93本目!
「信じるものは救われる♪」の鍵♪
2015 10 19
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「信じるものは救われる」
この言葉を耳にしたり、目にしたりするとき、

皆さんは、「何を」信じるものは救われる、と
思われるでしょうか。

いろいろな解釈ができますよね。

ここに、私は、「自分」を入れたいと思っています。

究極的には、自分を信じられる人は救われる。

そして、事実、そうなのだろうと思いますし、
自分を信じている人は、最強だとも思います。

自分を信じられるということは、
すなわち、人も信じられるということです。

生きていると、迷い悩むことは多々あります。
でも、その都度都度、小さいことであっても、
私たちは決定して生きています。

その小さな選択の度ごとに、
自分への信頼を重ねたり、
また、崩したり。

そんな繰り返しをしながら、
どれがほんとの正解なのかを模索しながら、
そんな正解なんてもんはないんですが、
それを探しながら、生きるものですね。

小さなこと、
それこそ、次のティータイムには
何を飲むか?なんてことの決定。

昼寝をするかしないか?なんていう決定(笑)

そんなことも、自分軸で決定していく。
そんな繰り返しが、いざ!というときの決定力も
定めるような気がしています。

そして、どんな決定も、
絶対に、Bestである。

迷い悩んだ過程も、懊悩も全て必要だった。

そのことも間違いないと信じていたい。

信じられる人の心の中はクリアです。
青、赤、緑色の光を混ぜ合わせたら、白になるように、
そのクリアさは、
いろいろな想いを乗り越えるからこそ表現できるもののようにも思います。

「あ!やっちゃった!」
「失敗したなぁ」
「もっと気の利いたひと言は出なかったものかなぁ」

そんな煩悶も、必要なのです。

そして、
小さな決定をいつも真剣にしていくことこそが
自分への自信も強くしてくれて、

つい、うっかりな凡ミスを減らしてくれるのですね。

そう考えると、
人との関わりも、スポーツや芸術と一緒で
集中した上で行う「練習」が必要なんです。

毎日の生活の中で、繰り返し触れ合っていく中で、
高めていくものなんですね。

いっぱい悩むことは、いっぱい上達するために必要なこと。

下手だ、とか、
苦手だ、とか思う時点で、成長してるんですね。

人との関わりから遠ざかることなく、
自分を信じて、ともに歩んでいきましょう!

毎日の人との関わりで、
響きあい、成長できる毎日でありますよう♪


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